川中島古戦場

戦国時代の合戦でも有名な川中島の合戦。武田信玄と上杉謙信が北信濃の覇権を巡り、1553年から12年間、5回にわたって戦った。特に1561年の4回目の合戦が有名で、八幡原史跡公園内の川中島古戦場には馬に乗った謙信の剣を信玄が軍配うちわで防いだという話に基づく一騎打ちの像がある。

詳しくは

典厩寺

1561年(永禄4)、川中島の合戦で戦死した武田信玄の弟、典厩信繁[てんきゅうのぶしげ]と第4回川中島合戦で戦死した信玄の実弟、典厩信繁と両軍の戦死者6000余名を弔い供養した寺。境内には典厩の墓や高さ5mで日本一大きい閻魔[えんま]大王など戦死した武者たちの功績を偲ぶ史跡が多い。また川中島合戦記念館の展示物は、合戦で使用された典厩の兜・太刀・鉄扇・戦況地図が展示されている。春には庭園にある梅、枝垂桜が綺麗に咲き誇ります。

拝観料 大人200円 小人150円
TEL026-292-3335

山本勘助の墓

山本勘助は三河の国(愛知県)の出身で、初めは今川義元に使えていましたが、後に武田信玄の家臣となりました。諸国を流浪して各国の事情に精通し、さらに天文,兵法,槍術など武芸百般を体得した信玄の参謀で諸国の情報を素早く入手し数々の策略を立てたと云われています。また、信玄が上杉謙信の攻撃に備えて築いた小諸城や海津城(松代城)の構築も手がけました。  永禄4年(1561)9月の川中島の合戦では、必勝を信じて「きつつきの戦法」を信玄に勧めたが、それを上杉謙信に見破られために武田軍は苦戦に陥りました。勘助はその責任を感じ、敵陣へ駆け込み奮戦をしたのですが、力尽きて討ち死にしてしまいました。  この墓は昔はこの南方の高畑付近にありましたが、元文4年(1739)に松代藩家老鎌原重栄が今の地に移して碑を建てたものです。  −現地案内板より−